元プロ野球選手の市村則紀さんをご存知ですか?ドラフト史上最高齢での指名など、数々のエピソードを持つ市村さんの野球人生について、3択クイズに挑戦してみましょう!
市村則紀さんは、どの高校を卒業しましたか?
高校時代は甲子園を目指して活躍!
市村則紀さんは、茨城県立石下高等学校を卒業しました。高校時代は、1970年の夏の甲子園県予選準々決勝に進出するも、竜ヶ崎一高に敗れています。
市村則紀さんは、大学時代、どのチームでプレーしましたか?
大学時代は東都大学リーグで活躍!
市村則紀さんは、東洋大学に進学し硬式野球部に入部しました。東都大学リーグ通算37試合に登板し7勝8敗の成績を残しています。大学時代は、後に西武でチームメイトとなる松沼博久さんと共に、投手の二本柱として活躍しました。
市村則紀さんは、社会人野球ではどのチームに所属していましたか?
社会人時代はリリーフとして活躍!
大学卒業後は、社会人野球の電電関東に入団しました。先発型の好投手が多く、出場機会に恵まれなかったものの、リリーフとして徐々に活躍しました。1981年の都市対抗では、エース田中幸雄をリリーフして好投し、チームの準々決勝進出に貢献しています。
市村則紀さんは、プロ野球ではどのチームに所属していましたか?
プロ野球では2チームで活躍!
1982年のドラフト会議で、中日ドラゴンズから3位指名を受けました。指名時の年齢は30歳5ヶ月と、ドラフト史上最高齢で、話題となりました。1983年から一軍に定着し、左サイドスローからのスライダーを武器に、主に左打者のワンポイントリリーフとして活躍しました。1986年には、鈴木康友との交換トレードで西武ライオンズに移籍し、中継ぎとして37試合に登板し、優勝に貢献しました。
市村則紀さんが西武ライオンズで活躍していた際に、珍プレー大賞に輝いたのはどんなシーンでしたか?
珍プレー大賞に輝いたのは、まさかの間違え!
1986年の珍プレー特集で、リリーフカーで登場するも交代を告げられた石井毅と間違えており、ブルペンへ戻るシーンが珍プレー大賞に輝き、有名になりました。この時の市村さんの茨城訛りの朴訥とした話し方は、印象的でした。
市村則紀さんは、現役引退後、どのチームのスコアラーとして活躍しましたか?
現役引退後はスコアラーとして活躍!
1988年限りで現役を引退した後、翌年にはスコアラーとして中日ドラゴンズへ復帰しました。その後は、社会人野球のクラブチームである相模原クラブでコーチ兼投手として活動し、現在はソフトボールで活躍しています。