元プロ野球選手の「内山智之」さん。豪快なピッチングと独特のキャラクターで、多くのファンを魅了しました。あなたは内山さんの野球人生について、どれくらい知っていますか? このクイズに挑戦して、内山さんの魅力を再発見しましょう!
内山智之選手の出身地はどこ?
岐阜県美濃加茂市出身!
内山智之選手は岐阜県美濃加茂市出身です。高校時代は美濃加茂高校で、大学時代は大阪経済法科大学で野球に励んでいました。
高校3年夏は2番手投手ながら県大会準決勝で完投勝利し、チームを決勝に導きました。大学では3年までに10勝を挙げましたが、全国大会への出場は叶いませんでした。
しかし、1990年のNPBドラフト会議で西武ライオンズから5位指名を受け、プロ野球選手としての道を歩み始めます。
内山智之選手は、どの球団でプロデビューを果たした?
西武ライオンズでプロデビュー!
内山智之選手は、1990年のNPBドラフト会議で西武ライオンズから5位指名を受け、1991年にプロ入りしました。
西武では、1992年に一軍公式戦デビューを果たします。ストレートの球威と将来性を見込まれて指名された内山選手は、入団後にメジャーリーグのトレーニング方法を研究し、ストレートの球速が150km/h近くにまで上昇しました。
銀縁の眼鏡をかけた風貌からは想像できないパワーピッチングで、ファンを魅了しました。
内山智之選手は、1993年のシーズン終了後に、どの球団へ移籍した?
福岡ダイエーホークスへ移籍!
内山智之選手は、1993年のシーズン終了後に、佐々木誠・村田勝喜・橋本武広との交換トレードで秋山幸二・渡辺智男両選手と共に福岡ダイエーホークスに移籍しました。
ダイエーでは、1994年の開幕第2戦で先発を任されるなど、チームの主力投手として活躍しました。
1994年8月21日の対近鉄バファローズ戦(福岡ドーム)では、プロ入り後初めての無四球完投勝利を記録するなど、その持ち味であるストレートの威力を見せつけました。
内山智之選手は、プロ野球選手として、どの球団で最後にプレーした?
福岡ダイエーホークスで現役引退!
内山智之選手は、1997年限りで福岡ダイエーホークスを退団し、MLBに挑戦しました。
フィラデルフィア・フィリーズ傘下の2Aレディング・フィリーズでプレーを続けたものの、MLBへの昇格は叶わず、現役を引退しました。
その後は、沖縄県で農業手伝いの傍ら、少年野球チームの監督を務めています。
内山智之選手は、どんな性格だった?
責任感が強く、几帳面な性格!
内山智之選手は、「チームの敗戦と一緒に(責任投手として)名前の出る投手にとって、野球は団体競技ではなく個人競技」という考えを持つ、強い責任感の持ち主でした。
ダイエーへの移籍当初は、負けが込んでいる間に食欲が落ちたり、ストレス性のじんましんを発症したりするほど、責任感を強く感じていたようです。
また、かなりの潔癖症で、当時「数日間入浴しなくても平気」と豪語していたチームメイトの下柳剛としばしば対立していたというエピソードも有名です。
下柳は現役引退後に、内山選手について「この世代のプロ野球選手には珍しく、大の嫌煙家だった」と述懐しています。